さまざまな活動


御城印

 城跡を訪れた方の記念に御城印・御城印帳を作成しました。以下の場所で販売しております。

     ホテル井筒・KKRホテル・坂本観光協会事務所







清掃活動

地域と連携し、坂本城址公園の清掃活動、美化活動に参加しています。




研修活動

2021.7.6 佐目十兵衛会様との交流会
佐目十兵衛会様は、多賀町佐目が明智光秀の出身地という地域の伝承の保存・継承・発信に取り組まれておられます。



2014.11.11 松阪城跡石垣、亀山城多門櫓・関宿町並み


2013.11.8 国宝・犬山城と城下町自由散策


2011.10.28 ガラシャゆかりの長岡京:勝龍寺城と玉造:細川邸跡・越中井、大阪城を訪ねる


2010.10.27 明智城址と森可成の兼山歴史民俗資料館を訪ねる


2009.10.29 福知山城と丹波亀山城跡を訪ねる


2008.10.16 湖上から坂本城を眺めよう
湖上からの比良連峰
逆光のため比叡山は撮影できませんでした


大津市パワーアップ市民活動応援事業

「大津市パワーアップ市民活動応援事業」に応募したときの、3分間のプレゼンスライドショーです。実際は歌が入ったり、画面内の写真も動いたりしていますが、お見せできないのが残念です。(拡大は画像をクリックしてください)



「これが光秀の本音にござります 一寸の虫にも五分の魂 やらねばやられる戦国の掟 わしは主を間違えたようじゃ」(歌)美濃に生まれて 近江に賭ける……「逃げ失せたぞー」、「どこへ行ったー、探せー」


秀満は水しぶきを上げて、湖面へ馬を乗り入れた。すでに光秀はおらず、ひとり包囲網を脱した秀満には、大きな使命と責任があった。天正10年、坂本城は炎上した。


光秀と言えば坂本城
イメージが強いが、今、残されている石垣は琵琶湖の水の中。周辺に公園はできたものの、坂本城の片鱗すらない。ここに坂本城を復元したい、これが私たちの原点です


「城址公園が汚いで」ゴミが散らかっている公園を掃除しようと、会員から声が上がり、清掃活動を今も続けている。少しでも地域に貢献ができ、まちづくりに繋がると。


多くの人々が注目する光秀や坂本城だが、地域住民も知らないことが多くある。まず我々が勉強しようと、地域の人たちにも呼びかけ、郷土の歴史を知るための講習会を続ける。


「やっぱり良い場所に建てたんやなあ」、「近くに住んでいるけど、琵琶湖から見るのは初めてやわ」一番丸を貸し切り、湖上研修を実施。比叡山の眺望も良い場所、琵琶湖の船も寄り付ける場所、改めて感心する。


最近は戦国武将ブームとかで若い女性が「歴女」と呼ばれ、人気のある武将の史跡には人が集まり、観光発信している。謀反の武将とのイメージが強い光秀も、最近は「教養人」、「愛妻家」として見直されている。また、光秀は殺されてなくて、比叡山に登り、天海僧正になったとの説もある。


全国へ向けてアピールできる坂本城や光秀関連史跡は、下阪本・坂本地域に数多くある。関連遺跡の観光チラシを作成し、周辺の駅や関連施設、ホテルなどに置いてもらい、地域住民や観光客にも活用してもらおう。


戦国の世を波乱万丈に生きた「光秀」を大河ドラマにと、署名運動に取組んだ。福知山城へも研修のため訪れた。案内は地元のボランティアガイド、これは坂本城でもボランティアガイドが必要だ。ガイド養成のための勉強会もやらねば。


観光チラシの活用やボランティアガイドの育成には、他団体との連携が必要になる。下阪本学区の文化祭に出展するなど、地元の各種団体を始め、市内ボランティアガイドや関係する行政機関などと連携して、まちづくりに繋げたい。


日常活動はもちろん、観光チラシの活用やボランティアガイドの育成には宣伝が重要だ。ホームページの充実。会報の定期発行。関係雑誌への投稿、マスコミを通じた宣伝などを、継続して実施。

再建された坂本城はその後廃城になり、資材は大津城に移転されている。大津城の天主は彦根城へ、その他の資材は膳所城へ移転された。人々の繋がりや絆は益々広がり、大きくなる。目的が地域の活力と坂本城復元と寛大であり、情熱を持った人材の育成が必要だ。坂本城に輝きを。